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潰瘍性大腸炎と数年間戦っていた薬剤師の私は、実践栄養学で救われました!

薬剤師の寺原さんは潰瘍性大腸炎で苦しんでいました。私がはじめて会ったとき、寺原さんは西洋医学と調剤の仕事以外は目に入れることのない典型的な薬剤師さんでした。そんな彼ですから、当初は私を明らかに疑っていたようです。しかし、今ではセミナーを開催し、実践栄養学の啓蒙活動を積極的に行っています。そこで、寺原さんの体験について聞いてみました。


 

「寺原さんは、思いっきり私のことを胡散臭いと疑っていましたよね。」

「はい。すいません!正直、当時は鈴木先生のことを『絶対に詐欺だ!こころの病が薬剤師に治せるわけがない!』と疑いまくっていました。」

「薬剤師の仕事や栄養学については、どういった認識だったのですか?」

「栄養学は薬剤師国家試験で少し勉強していましたが、それを日常生活レベルで考えたことは全くありませんでしたし、信じてもいませんでした。それよりも、最新の薬や高度な医療に興味がありました。」

「ならば、はじめて私の話を聞いた時は『聞く耳』すらなかったでしょうね?私がうつ病やパニック障害などの精神疾患や発達障害、認知症、不登校、モラハラ、家庭内暴力(DV)など『こころの病やこころの問題』の相談をいただいていることなど…」

「はい。正直、最初の2か月くらいは疑いまくっていました。これは、一緒に参加していた他の薬剤師も同じ意見でした。」

「まあ、そんなものですよね。私の常識は、医学や薬学、心理学などの常識とはかけ離れていますから。でも、そんな寺原さんも潰瘍性大腸炎が治らなかったから…」

「そうです。鈴木先生の話を信じてはいませんでしたが、潰瘍性大腸炎を患っていたからこそ藁をもつかむ思いで試しました。」

「じゃあ、まずは潰瘍性大腸炎でどんなだったのか?そこから教えてください。」

 

27才のときに潰瘍性大腸炎と診断された

私は6年ほど前、27才で潰瘍性大腸炎と診断されました。それ以来、ステロイドを含めて1日15錠の薬を服用していました。しかし、毎日1日20回以上の下痢と腹痛、血便で苦しんでいました。また、突発的な高熱にも悩まされていて、月に数日は39度以上の熱で仕事を休んでいました。

 

いつ頃から下痢がはじまったのか?

病院で潰瘍性大腸炎と診断される前までの私の生活を少しご紹介いたします。

・大学時代は朝まで研究をして昼夜逆転していました。食事も大学前のコンビニ弁当やカップラーメン。(21~22才)

・国家試験の勉強中は今まで勉強をしてこなかったツケが回ってきて、寝ている暇もありませんでした。コーヒーをがぶ飲みしたり、深夜熱いお湯に入って目を覚ましたり無茶なことばかりやっていました。(22才)

・その後、新人薬剤師として無事就職した先がとても厳しい薬局でこれまた荒れた食生活に加え、毎日睡眠不足の状態でした。(23~24才の頃)

・九州に帰ってきて新しい薬局に就職した頃から下痢の症状が続くようになり、加えてストレスからか激辛の食べ物を好んで食べるようになりました。(24~25才の頃)

・大量の出血、血便、腹痛、発熱が出て、病院を受診すると潰瘍性大腸炎と医師から診断される。(27才の頃)

ある程度この病気の知識があったので「完治しない!」ということを前提で生活をしていました。あれは食べてはいけない、当然お酒も飲んではいけないなどなど制限をかなりしていました。

しかし、鈴木先生に指摘されるまで、潰瘍性大腸炎発症前の食生活が原因だとまったく気づくこともなかったし、考えたこともありませんでした。

 

毎日、どんな気持ちで生活していたんですか?

1年たっても2年たっても、15錠もの薬を飲んでいるのに症状は一向に改善されません。下痢と腹痛、血便は続きましたし、高熱のために仕事を当たり前のように休んでいました。

将来への不安はもちろんですが、このまま死んでしまうのではないか…など、言葉では言い表せないほどの不安に押しつぶされそうな時もありました。

さらに、辛い思いをさせた妻のことも今でも忘れられません。

新婚旅行中に初めての出血!そして帰国後の無情な宣告が…

実は、潰瘍性大腸炎と診断される少し前(26才)の時に結婚しておりました。その後、新婚旅行にハワイに行ったのですが、急にものすごい腹痛に襲われて「また下痢だ!」と慌ててトイレに駆け込みました。すると…

よりによって新婚旅行中にはじめての血便というか肛門から大量の出血があり、思わず青ざめたことを今でも覚えております。ここでやっと、私は下痢を繰り返していたのが相当深刻なものだと認識しました。

妻には楽しい旅行であってほしいと出血の事は黙っていたのですが、ハワイの5日間はトイレに行きっぱなしでその都度出血。隠していることもつらかったですし、妻にはとりつくろっていましたが内心は不安で不安でしかたなかったです。

その後、帰国して慌てて病院を受診し、そこで潰瘍性大腸炎と診断されました。このとき、病名がついたことと薬の処方を受けたことで、私は「これで治る!」と信じていました。しかし、薬の量がどんどん増えるのに病状は回復するどころか逆に、さらに悪化していきました。そのため体調がさらに悪化して主治医からは…

「子どもは当分諦めてください」

と言われました。その理由は、免疫抑制剤やステロイドを使うことになったため、それが子どもに影響が及んでしまうことになるからです。そのため、私はさらに悩みました。

治したい。治りたい。そのためには薬を飲まなければいけない。怖い。死んでしまうかも。でも、薬を飲めば子供はあきらめなくてはいけない。でも、妻は子供を望んでいる。なんて伝えたらいいのか?伝えたら妻はどんな気持ちになるのか?なんて説明しよう…、伝えたら悲しがるだろうな…、そんなことがグルグルと頭の中でなんどもなんども浮かんでは消えました。

そして、やっとの思いで…

「当分、子どもは作れない・・・離婚した方がいいかも。」そう妻に伝えました。

大粒の涙が妻の目からボロボロと落ちてきました。そして泣きながら妻は「大丈夫。大丈夫。大丈夫だから…」と、自分に言い聞かせるように何度も大丈夫と繰り返しました。それを見た私もまた、思わず泣いてしまいました。

そのような色々なことがあり、潰瘍性大腸炎と診断されてから2年ほど経ったころ鈴木先生に出会いました。そのとき、次のような話を聞いて「これを試してみよう!」と思いました。信じたわけではありませんが、他に手がなかったのでまさしく藁をもつかむ思いでした。

 

記号で考えているから治らない!

「潰瘍性大腸炎について寺原さんから相談をいただいたときのことは、私も覚えています。たぶん、『完治しない!』が『完治するよ!』みたいな話をしたんだと…。

潰瘍性大腸炎を記号で捉えてしまうから治らない。病気と健康は二面的なものではなくレベルの差である。そんなことを話したと記憶しています。また、医学の常識と私の常識の違いについて、潰瘍性大腸炎の作用機序のようなことも話したような…」

当時はアンポンタンでした!

 

そうです。当初、嫌々ながら受けていた勉強会でしたが、徐々に考え方が変わりました。それは、潰瘍性大腸炎について、鈴木先生から次のような話を聞いたからです。

 

 

「自己免疫疾患は免疫が異常になって自分を攻撃している!というのが医学の常識。でも、違う角度から見ると次のように考えることができます。

まず、免疫は正常に働いていると想定してみましょう。免疫が正常に働いているから潰瘍性大腸炎が起きているとしたら?

ハチや蛇の毒とは、人間の組織に使われることのないタンパク質の組成だからですよね。だから、免疫が反応することになる。これは正常な働きです。

では、寺原さんの大学生時代からの食生活を考えみましょう。

あなたの食生活から考えれば栄養の偏りは明らかです。したがって、分子レベルで考えれば、あなたの組織はどこかしら不完全な状態でしょう。寺原さんの場合、それが大腸で起きているにすぎません。

大腸が不完全な組織になっているから、免疫がそれを異物と認識して攻撃する。これは自然なことではないですか?

重要なのは、他の人が寺原さんと同じ食事をしたとしても、必ずしも潰瘍性大腸炎になるとは限らないことです。

人には個体差がありますから、弱い部分は人それぞれです。不完全な組織がどこにできるのか?は人それぞれであり、私からすればクローン病やリウマチ、鼻炎、喘息など今の寺原さんと同じです。

私は、そういった分子レベルで起きる体の偏りや溝を埋めことで、さまざまな悩みを解決するお手伝いをしてきました。試してみる価値は十分にあると私は考えますが、あなたは違いますか?」

 

この考え方は目から鱗でした。

また、「完治するよ!」とも言って頂きました。

この時の思いをどう表現して良いのかわかりませんが、肩の荷が下りて、視界が広がった感覚でした。健康と病気はレベルの差であること。だから「完治はする!」けど「完治はしない!」という意味も理解できました。

ダメもとで、この先生の事を信じてやってみようと思い実践栄養学を生活に取り入れて自分の体で実験してみました。すると・・・

 

形のある便が出た日、妻と泣いて喜びました!

鈴木先生の言うように実践栄養学を実践して半年くらいたった時でした。それまで、軟便か下痢しかここ数年見たことがなかったのですが、久しぶりにかたちのある便が出ました。

あまりにも感動して妻に便を見てもらいました。すると、妻は泣いて喜んでくれました。

その頃から、高熱も出なくなり薬を徐々にやめていきました。

さらに、数か月後には病院を受診することもなく、たまに下痢は出るものの、食事制限やお酒も気にせず楽しめるようになりました。

 

そして完全に薬をやめるようになってから数年後に無事、娘を授かることができました。あきらめていた分、さらに可愛さが増しております。今では、離婚話も笑い話になっています。

 

さらに、実践栄養学を実践中

薬も飲まない、病院に行かない、症状も全くない、食事制限もしていない。お酒も気にせず飲んでいる。すでに下痢や腹痛、血便がなくなって4年経過していてこんな生活ができていますから、

この状態だと「完治した!」と胸をはって言える状態だと思います。念のため1年に1回は大腸検査をしておりますが、それ以外は何も考えていません。

実践栄養学の大切さというのを体で感じる事ができてとても貴重な体験でした。

今も、実践栄養学を実践中であります。

 

以前と今のレベルの差を身をもって感じています!

最近の変化で言えば、

・インフルエンザや風邪にかからなくなった。

これは、おそらく腸の機能がさらに良くなって免疫力も高まったからだと感じています

 

・仕事に対する向き合い方が変わった。

面倒な仕事や、やりたくないことは後回しにしていたのですが先回りして仕事ができるようになった。1段階仕事のスピードが上がった感覚です。

 

・妻とのケンカの時に切り替えが早くなった。

恥ずかしい話ですが、潰瘍性大腸炎の時はかなりケンカをしていました。今ではケンカが減ったうえに切り替えが早くなってお互い気持ちが楽になりました。

 

・さらに多動になった(営業のスピードが加速)。

薬剤師が営業をすることは珍しいのですが、行政、警察、介護施設など様々な施設にお邪魔して自分たちの知識や経験を話しております。今まで以上に外に飛び出す回数が増えています。まさにイノシシです(笑)

 

・疲れてぐっすり眠れる。

潰瘍性大腸炎を発症しているときは、不安やストレスで短時間しか眠れませんでした。

今では1日中働いて、ぐっすり眠れるようになりました。

 

これらの変化は潰瘍性大腸炎が治ったことを前提にすれば大きな変化ではないかもしれませんが、これが何年も積み重なれば体の調子はどんどんよくなると想像できます。

 


 

病気と健康は記号ではありません。二面的なものではなく、レベルの差にすぎません。それを体感された寺原さんは、私から見ても大きく変わりました。

一般的に言えば、潰瘍性大腸炎の症状が無くなったことがもっとも大きな変化という話になるのでしょう。しかし、私はそれ以上に寺原さんの行動パターンが大きく変わったと感じています。

寺原さんも他の薬剤師と同じく、薬剤師という記号に囚われて「調剤」の仕事をしていました。が、今では実践栄養学のセミナーを通じて、お客様や患者さんに「健康になる方法」を販売していらっしゃいます。

また、「健康になる方法」を伝えるのが薬剤師の仕事であると理解できましたから、一般の薬剤師には理解ができないであろう行政や警察などへの訪問もするようになっています。

このように、実践栄養学は人の視野を広げます。脳の働きを高めることもできる学問です。ぜひ、あなたの生活に活かしてください。