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脳梗塞の後遺症で苦しみ医者から「これ以上は…」と言われていた祖母が実践栄養学で…

「祖母が亡くなりました…」

2019年1月のある日、山本さんから私にそう連絡がありました。ちょうど、おばあちゃんの状況が実践栄養学で改善したというお話を、同じようなことで悩む人にお役立ていただだこうと山本さんが記事を書きはじめた矢先のことでした。

山本さんは薬剤師で、ご自分の体験を10年前の自分が見たら「別人」だと思うほど、私の性格や行動は変わりました!という記事でご紹介してくれています。そんな山本さんは、ご自分の体験をおばあちゃんの脳梗塞に活かしました。

とても残念なご連絡をいただいたところですが、そんな山本さんのおばあちゃんのお話をご紹介させていただきます。


 

私の祖母は91歳で、皆さんから「大往生だった!」と言われながら、惜しくもこの世を去りました。

 

その日は朝からデイケアに行き、リハビリをしっかり行っていて、食欲もしっかりあり、まだまだ元気だねという時に、突然その日の夜に亡くなりました。

いわゆるピンピンコロリというある意味、理想の亡くなり方でしたが、ずっと健康で問題など何もなかったわけではありませんでした

 

祖母は普通であれば、後遺症が残ったであろう病気になっていながら、それから驚異の回復をしていたから、大往生となったと思っています。そのお話をさせてください。

 

祖母に起きたある後遺症が残ってもおかしくない状態とは?

 

実は、87歳のとき脳梗塞で突然倒れました。

 

祖母は元来、健康に気をつけており、農作業も毎日行い、朝晩散歩をしていました。食事もお医者さんのいうことにしたがい、塩辛いものはあまりとらないようにと好きなお漬物などもひかえて、さらにお酒、タバコなどは全くとっていませんでした。

 

ある晴れた日の夕方、祖母はいつもように日課の散歩にひとりで出かけて行きました。無理をしない程度の運動ですが、毎日の日課なので慣れたもので、スイスイと歩いていたようです。

 

しかし、散歩の帰り道、自宅まであと少しのところで、急に道端に倒れこんでしまいました。本人にはなぜ倒れたのかわかりませんでした。

体半分が動かず、自分の体なのにいうことをききません。近くには人の気配はなく、助けを呼ぼうと声を絞りだしても誰にも声がとどきませんでした。

 

祖母は時間をかけて、なんとか自力で自宅まで帰りつきました。最初に倒れた時にも、その途中でも倒れ、地面で体をこすったのでしょう、全身泥だらけです。

そのような状態で家に帰ってきた祖母をみて、家族はびっくりして、気が動転しながらも医療センターに連れて行きました。

 

この時は正直覚悟したと家族は思ったようでしたが、結果、幸い命に別状はなく、思ったより軽い症状ですんだようです。

 

私はその報告を受け、びっくりして病院を訪ねました。

 

「お見舞いきてくれてありがとう」

 

と祖母は笑顔で、対応してくれました。

 

「よかった、びっくりしたよ。命があってものだねだ」

 

と私は、一安心しました。

しかし、祖母の様子をみるとやはり少し疲れたのか、元気がないようにみえました。

また、病院での食事がきてもなかなか食べません。というより食べられなかったのです。

 

手の指が曲がってしまったままになり、思うように手を開くことができません。箸がうまく使えないどころかスプーンをも持つのが不便なほどでした

 

入院中に、少しずつ回復して入ったものの、退院時になっても手のマヒや言葉がおぼつかないなどの障害が残ってしまいました。

 

以前の元気な祖母を知っている私や家族は、たまらない気持ちになりました。

 

「さすがに、歳だから・・・」

 

そう家族が口にすることも仕方がないと思っていました。

 

退院後、持ち前の負けん気で祖母は懸命にリハビリを続けました。

しかし、頑張っても頑張っても手のしびれや冷え、マヒ、痛みは一向に改善することがありません。その不安から毎晩何度も目を覚ますようになった祖母は考え込むようになってしまいました

脳梗塞から約1年たった年の4月、春になり気温は暖かくなってきているのに、極端な手の冷えとマヒが残っているため、元気がなくなってしまった祖母を見て、私はすごくつらかったです。

 

それでも、祖母は毎日の畑仕事が生きがいです。

曇りがちな表情でしたが、不自由な手で畑仕事はしていました。口にはしないものの本人は本当につらかったと思います。また、私もそんな祖母の姿と、当時、何もできない無力さに胸を痛めていました。

 

実践栄養学との出会い。鈴木先生との出会い

 

そんなとき、たまたまではありますが社長の知り合いである鈴木先生に出会いました。

鈴木先生は薬剤師ですが、東洋医学や実践栄養学と独自のアプローチで実績を上げている方です。そして鈴木先生は私の祖母に対して独自の考えとアプローチを教えてくれました。すると…

 

祖母は

アプローチしたその日からぐっすり眠れるようになった。

しばらく続けると手のしびれやマヒも回復。

あんなに冷たくて痛みがあった手も温かくなり、痛みは消えてしまいました

 

私も家族も驚きましたが、本人が一番びっくりしていました。その喜びを私に嬉しそうに教えてくれました。その時は前より明るく元気となりました。

それから、現役の農家として野菜を作って私たちに振舞ってくれていました。

 

そのような祖母の状況を伝え感謝の言葉を言うと、鈴木先生は次のようなお話をしてくれました。

 

「山本さん、私たちは「花」を見ますが枝葉や幹を見ません。ましてや根のことなど気にもとめません。おばあちゃんの病気も同じです。「脳梗塞」は「花」にすぎません。枝葉や幹、根まで含めたおばあちゃんを見てあげてください。枝葉や幹、根がなければ花は咲くことがないのですから。」

実は、私は鈴木先生の著書を先生に会う前に読んでいました。その時は、そんなものかなと、また知っている内容であると感じてしまい、それだけで何も実行して来ませんでした。

 

今回、鈴木先生からいただいたアドバイスとは、至極当たり前のことです。やはり上記の著書にも書いてある内容に沿ったものですし、もちろん、私も知っていることでした。

 

しかし、このアドバイスを実行してはじめて「知っている」と「わかっている」ことは違う。そう確信できました。

 

「山本さんに限らず、私と出会ったことであなた方の人生は大きく変わりました。その体験と、あなた方が得た知識を地元のお客様に還元する義務があると私は考えています。それほど大きな人生の転機を、ここ数か月で体感してくれたと私は自負していますが…、どうでしょうか?」

この指摘は決して大袈裟なものではありません。私は「10年前の自分が見たら「別人」だと思うほど、私の性格や行動は変わりました! 」で紹介したように、文字通り人生を大きく変える経験をしました。また、他にも私と同じように人生を大きく変えた薬剤師や登録販売者はたくさんいます。

鈴木先生から、そんなことを言われ、現在は実践栄養学を学びセミナーを行っています。

 

祖母の回復は、単なる奇跡ではない

祖母は脳梗塞から1年経ってからのアプローチで回復しました。

通常半年で回復の見込みがないと、「それ以上リハビリなどあまり効果がない」と病院では言われています。

 

しかし、祖母は回復しました。

 

麻痺などはどこに行ったのかと言うほどで、その後は前よりも元気になったぐらいでした。

このことがなければ、元気に過ごせておらず、気が滅入っていたのが続いていたと思います。

 

なぜなら、眠れないとか不安ということがあったことは私たちには一言も話さず、昭和前期の女性のような我慢強さが祖母にはあったので、周りに心配かけまいと、自分の中にしまい込んでいたのです。

そして、眠れないとか、手の麻痺とかが回復した時に、「実はね・・・」と教えてくれたからです。

 

ぜひこのことを皆さんの糧としていただきたい。そう願って活動を続けています。必ず悩みは良くなることをお伝えしていきたいです。


 

実は、私も祖母が88歳になったときからお世話をさせてもらいました。

当時、祖母の子どもは私の母とその妹を除き、先に亡くなっていました。また、私の母も祖母より先に亡くなっていたため、94歳から私と妻で祖母の世話をしました。そして山本さんのおばあちゃんと同じように、祖母は100歳にあと1日という日に老衰で亡くなりました。大往生でした。

その意味で、私も山本さんの気持ちはよくわかります。

薬剤師でもある山本さんは、祖母思いだったからこそ認知症改善に力を入れていらっしゃるのだと思います。彼は、実践栄養学のアプローチを利用して認知症改善するセミナーを各地で開催されています。

また、ご自分の体験「10年前の自分が見たら「別人」だと思うほど、私の性格や行動は変わりました!」とおばあちゃん、ご家族の変わりようから、今では調剤の仕事以上に実践栄養学の啓蒙活動に力を入れていらっしゃいます。

「脳梗塞の後遺症で苦しんでいた祖母を見ているのが辛かったです。でも、実践栄養学のアプローチを祖母に紹介できました。また、その結果、祖母がとても元気になってくれました。

その上で、元気になった祖母が私に、それまで苦しんでいたと打ち明けてくれました。

祖母は亡くなりましたが、孫としてできる限りのことができたと思えることがうれしいです。」

山本さんはこんなお話をしてくれましたが、私もそんなお話が聞けたことがとてもうれしかったです。